マージャンの話、(この話に落ちはないかも) 企画、雑文へ トップへ
麻雀は格闘技だ。
個人的見解ではそう思う。
肉体同士がぶつかり合うことはないが、
4人の闘士の思考、嗜好、気配、打牌、河、
ものすごい量の情報が卓上をスピーディーに彩っていく。
情報戦とでも言うか、まさに闘牌だといえる。
ここまでは一定以上のレベルに達したものの話だ。
当然僕はそんなレベルの打牌はできない。
せいぜい、ピンズが高い、とか、あそこに壁がある、とかいったレベルだ。
三暗刻トイトイを蹴って、ツモリ四暗刻狙うような馬鹿だ。
闘牌と言うよりは、ロシアンルーレットだ。
だが、麻雀のすごいところは、この程度の打ち手でも
楽しくやれるということだ。
実際、ほぼ同程度の雀力の部活仲間と麻雀していた頃は、
ホントに楽しかった。負けが込んではいたが。
部活が終わると麻雀タイムになる。部内ではノーレートが鉄則だ。
卓が広がり、マットがしかれ、じゃらじゃら洗牌する。
当然手積みになるが、俺は手積みが苦手で、いつも俺の前の山は短い。
これは地味に屈辱だった。でも、積み込みは得意だったがw
俺の打ち方は、基本的に順子を重視したうち方をしていた。上がりやすいし逃げやすいから。チキンだ。
だから、上がる役も大して高くない。普段はいいとこ39だ。
ただ、性格が悪いから、打ちまわしはおかしかった。
狙い撃ちや差し込みもやってた。これじゃ勝てるわけがない。
高いのが来てそうな相手を確認して、平和で流してやるのが至高の喜びだった。
一回友人のチューレンをチートイでさらりと蹴ってやった時は、よだれが垂れそうだったw
ハイテイのみで上がった時の大ひんしゅくも忘れられない。
極たまに、麻雀の神様が俺なんかにツキをまわしてくれる時もあった。
配牌で、大三元リャンシャンだったときは焦りまくった。
でも結局上がれなかった。テンパイすらしなかった。
配牌がよすぎるとツモ悪いような気がしてならない。おれだけか?
長時間やっていると頭がモーローとしてきて、少牌、多牌がでてくるともう大変。
少牌は上がり放棄でいいが、多牌はチョンボ、やってられない。
必死に隠し通して、流局した瞬間の開放感といったら!
当然人の多牌は見逃さないのが俺流。
決め台詞は「手、どけて」だった。
俺のマイナス武勇伝はこんなのがある。
自分はマンズで清一色、対面がソーズで染めてる局面。
俺が先に張ったから、降りるわけにいかない。
ツモったのが發、いやな予感はした。
握ってりゃよかった。でも切った。
「ロン、緑一色」
いろんな意味で死んだ。
マイナス80000点なんて初めてだったw ハコテンアリだったのに。
俺が親で開局直後
「ロン、人和」
これはホンとイラついた。
地和狙えよと思った。
徹マン明けの夜明け空が一番好きだった。
肺の中に、湿って冷たい空気が流れ込んでくる。
自販機で買ったコーヒー片手に一休み。
今思い出しても、あの時間ほど美しく蘇る瞬間はそうそうない。
まーじゃんしたいなー、卓を囲んで、だべりながら。
ネット麻雀は苦手、表情や気配が分からないし、第一楽しくないから。
ひととまーじゃんしたいっす。
まとまりのない文章だったが、大体俺の打ちまわしは想像できたのではないかと思う。
俺と卓を囲めば、ねちっこい麻雀を披露できると思います。
こんな俺でもいつかは「兎」みたいな闘牌がしてみたいです。
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